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 八月十八日。
 タイチョーとドンファンがスパイとしてグランベロスに向かって、二日後の朝。
 手紙という形でもたらされた急報を、ビュウは、苦々しい思いで報告した。

「――どうじゃビュウ、このマテライトの先見の明は!」
「ただの偶然だろ、オッサン」
 長方形のテーブルの上座に着いてふんぞり返るマテライトと、ぶっきらぼうに突っ込むビュウ。その横でセンダックはどう仲裁したものかとオロオロしている。ホーネットは興味のなさそうな顔でそれを眺め、ゾラは呆れ顔をしている。
 そこを、マテライトは更に得意げな顔で、
「だがビュウよ、わしが前もって動いたおかげでグランベロスで何が起こったか知る事が出来る、これは確かであろう?」
「…………」
「ん? どうじゃ?」
「…………」
「お前が独自の情報網を持っている事は知っておる。その情報網のおかげで、我々がこれまで戦ってこれた、という事もな。――じゃが、今回の事は不測の事態。いくらお前とて出遅れるであろう」
「…………」
「しかしわしが、グランベロスにスパイを送る事でそれを補った。そのおかげで、お前はグランベロスの情報を、金を払う事なく、しかもどこよりも早く、手に入れる事が出来る」
「…………」
 全て――
 全て、いちいちもっともだった。
 マテライトの言う通りだった。情報屋による情報収集は、「不測の事態」にはどうしても後手に回る――不測の事態が起こって、それを知って初めて、それについての情報を求めるから。
 だからマテライトの「怪我の功名」は、本来なら諸手を上げて歓迎しなければいけないところだ。ところなのだが――

「どうじゃビュウ、このマテライトの知略は! 崇め讃えて良いのだぞ!?」

 というガハハ笑いを響かせるものだから、そんな気なんて到底起きないのだ。


 急報の内容は、こんなもの。

 グランベロス帝国、在ゴドランド特使メロゥ・ラディア=ホーントの元に本国より急使が到着。それを伴い、特使は急遽、極秘裏に帰国した。


 グランベロスで何か起こったのだ。将軍が大急ぎで戻らなければいけないほどの重要事が、突然。
 それが、自分たち反乱軍にとって吉と出るか凶と出るか――

 いずれにせよ、タイチョーたちが戻ってからでないとそれは判らない。
「じゃあ、今日もおとなしくタイチョーたちの帰りを待つ、って事で」
「サラリと無視するなビュウ!」
「では、ファーレンハイトは動かさない、という事だな。――俺は艦橋に戻るぞ」
 マテライトの怒号もよそに、さっさと席を立つホーネット。彼がこの朝の定例幹部会議に出席するのは、ファーレンハイトの航路に関する議題のためだけだ。それがないと判れば、ここにいる意味はない。適当な挨拶で送るビュウとセンダックの一方で、
「待て若造! このわしの知略に何の賞賛も――」
「じゃあ、あたしもヨヨ様の所に戻ろうかね」
「ってゾラ、お主もか!」
 ヨヨの病状報告のために出席しているゾラは、そのマテライトの声に顔をしかめた。
「うるさいよ、マテライト。あたしはね、ヨヨ様のお体の事でここに来てるだけだよ? あたしの言う事はもうとっくに終わったんだし、戻ってもいいじゃないか。ねぇ?」
「あぁ、聞きたい事も聞けたし」
 頷くビュウ。ちなみに本日のヨヨの容態は、雑談できる程度には良さそう、との事。日によっては話す気力さえない事もあるというのだから、今日は良い方だ。
「じゃあ、あたしはこれで。――マテライト、また昨日みたいにお部屋に来るんじゃないよ。騒がしくしたら追い出すからね」
 そう言い残し、ゾラは幹部会議の開催場所である艦長室から出ていく。

 ――バタン。

「――さぁーて、俺も戦竜の世話をしてくるか」
 と、席を立つビュウ。
「あ、そうだビュウ、ファーレンハイトのエンジンの事なんだけど――」
 追い掛けるように立ち上がるセンダック。
「オーバーホールなら金がないから出来ないぞ――オッサン、お疲れ」
「で、でも、機関長がもうオーバーホール時だ、って――マテライト、お疲れ様。じゃ、わしら、これで」
 二人して違う話題に花を咲かせながら、マテライトの横を通り過ぎる。
「まだ騙し騙し使えるだろ」
「ビ、ビュウ……それでもし、エンジンが爆発したら……」
「整備不良による爆発は聞いた事あるけど、老朽化による爆発は聞いた事ないな」
「ビュウ……もしかして、結構、ケチ?」
「失敬な」

 ――その後マテライトがいじけたらしい(部下のバルクレイ談)が、ビュウは知らない振りをした。



 それから数日は、何事もなく過ぎていった。
 ヨヨの容態は相変わらず良くも悪くもならず、ビュウは外出と事務仕事の合間を縫っては彼女を見舞った。現状報告も兼ねて。
 そうして、八月二十一日。

「マテライト殿ーっ、ただ今戻ったでアリマースっ!」
「やぁ諸君、お出迎えご苦労! この純情硬派なナイスガイ、ドンファ〜ン、帝国への危険なスパイ任務を終え、たった今帰還したよ!」
「マテライト殿、ビュウ、センダック老師! 帝国は大変な混乱振りだったでアリマス! 帝都のどこもかしこも皇帝ご不例の噂で持ちきりで、中には崩御寸前だとか継承者問題だとかの話もあったでアリマス!」
「そう! 帝国のレイディたちはとても不安そうだった……。その不安に満ちた心を解きほぐす男こそ、危険な香り漂う謎のスパイ、このドンファ〜ン!」
「自分たちはその真相を探るべく、帝宮へと侵入し――」
「彼女たちの多くは帝国の軍人、歴戦の女傭兵たちだ。しかし一度戦場から離れれば、そこにいるのは戦いに疲れた一人の可憐なレイディ……――疲れと不安と戸惑いに苛まれる彼女たちを見捨てておく事など、このドンファ〜ンには出来ない、つもりだ!」
「そこで自分たちは、混乱の原因を知ったでアリマス!」
「そうして僕はレイディたちの百人斬りを達成したわけだ! この純情硬派なナイスガイ、ドンファ〜ンの名を、帝国中に知らしめてきた、つもりだ!」
「まずどこから突っ込んでいいか分からないから順番にいくが、報告は艦橋に行ってから一人ずつまとめて喋れ! 内偵を進めるならもっと慎重にやれ! そしてスパイならスパイらしく隠密行動に勤しめってか自分の名前を帝国中に広めてくるんじゃないドンファンお前何しに行ったんだフレイムヒット!」

 帰還早々ギャアギャア騒ぐタイチョーとドンファンの二人を、ビュウの放った炎刃が襲ったのだった。



 ドンファンが帝国のレイディたちから聞きだした事によれば――
 曰く、カーナ駐留師団のハンス・ペルソナ=オルヴェントは雑巾掛けが趣味。
 曰く、トラファルガー艦長ゲオルク・アーバイン=エルベブルクは鍛錬が趣味。
 曰く、トラファルガー副長のギゼラ・バーバレラ=ケンプファーは鞭打ちが趣味。

「「誰がそんな役に立たん情報を集めてこいっつったぁぁぁぁぁぁっ!?」」
「ひぎゃおぅっ!?」
 ビュウとマテライトの放つアッパーカットを顎に受け、ドンファンはおかしな悲鳴と共に吹っ飛んだ。
 ドサリ。床に落ちる音。そのままドンファンの体はピクリ、ピクリと二、三度痙攣する。
 そして、ついにはガクリと動かなくなり、
「ド、ドンファン! しっかりするでアリマス!」
「タイチョー殿……ど、どうか、ルキアに……僕がいなくなっても悲しむんじゃない、僕はいつでも君の心にいる、と――」
「分かったでアリマス……お前のその言葉、必ずルキアに伝えるでアリマス!」
「それと、ジャンヌに……僕がいなくなっても悲しむんじゃない、僕はいつでも君の心にいる、と――」
「……二人に殴られるでアリマスよ、ドンファン」
 タイチョーに助け起こされたまま、フッ、と満ち足りた笑みを見せるドンファン。と、そこに、
「……タイチョーよ」
「は、はいでアリマス!」
 掛かるマテライトの声に、ビクリと震えるタイチョー。
「お前の報告を、聞こう」
「り、了解であります!」
 パッと立ち上がるタイチョー。ゴンッ。放り出されたドンファンの後頭部が艦橋の床に激突する。声なく悶え転がり回る彼は、最早誰の注目も浴びていない。哀れなり、ドンファン。
(と、コントはここまでにして)
 ビュウは頭を切り換え、タイチョーの報告に耳を傾けた。



 タイチョーたちがグランベロス帝都に入ったのが、八月十八日の夜。
「帝都はどこもかしこも混乱していて、自分たちが城門から堂々と入っても誰も止めなかったでアリマス」
「城門の通関審査がそこまでおざなりになっている、って事は……つまり、帝都防衛隊の指揮系統にまで混乱が生じた、って事?」
 センダックの言葉に、タイチョーは頷く。
 帝国の治安維持も軍の管轄である。正確には、帝都と帝宮の守備が本来の任務である帝都防衛隊が、その権限を帝都からグランベロス全土に広げて各地でその任に当たっている。
 その防衛隊の指揮系統が混乱した。これはすなわち、軍の中核の混乱が末端に及ぶほどの大事が起きた事に他ならない。
「自分たちは情報を集めたでアリマス。しかし、街の噂はバラバラで、当てになるものではなかったでアリマス。判った事といえば……皇帝の身に何かが起こった、という事だけであります」
「サウザーの身に?」
「そうでアリマス。そして、次の朝に将軍たちがそれについての演説を行なう、という話を聞き、自分たちは帝宮への潜入を試みたでアリマス」


 十九日、朝。
 グランベロスの一兵卒になりすましたタイチョーとドンファンは、閲兵も行なわれる帝宮前広場に潜り込んだ。
 整然と並ぶグランベロス軍の将兵に、多くの帝都の市民たち。テラスになった演説台に姿を現わした将軍たちに、彼らは沸き立った。
 ゲオルク・アーバイン=エルベブルク。
 ギゼラ・バーバレラ=ケンプファー。
 ゼム・グドルフ=ザーラント。
 ハンス・ペルソナ=オルヴェント。
 メロゥ・ラディア=ホーント。
 そして、
『帝国民よ……既に聞き及んでいようが、我らが主君、サウザー皇帝陛下が先頃倒れられた』
 最後に姿を現わし、集まった人々を一瞥して演説を始めたのが、

「サスァ・パルパレオス=フィンランディア……将軍だったでアリマス」

 将軍の言葉は、帝国首脳陣の公式見解。
 皇帝の不例を認めるその発言に、演説を聞く人々は動揺のざわめきを響かせた。
『しかし諸君、我が民よ、案ずる事はない。陛下は諸君のために、その身を賭された』
 ざわめきに、疑問の色合いが混じる。
『陛下は、神竜の伝説に挑まれた』
 その瞬間、広場には驚愕の声がいくつも聞こえたという。
『皆も知っていよう。このオレルスに伝わる、神竜の伝説を。陛下は神竜を従えるべく、神竜と対峙されたのだ』
 不安げなざわめきが波のように広がる。
『案ずる事はない! 陛下は必ずや、神竜を従え、皆の前に戻ってくるであろう! 全てはこのグランベロス帝国に、新たなる時代をもたらすために!』
 ざわめきが興奮の色を帯びる。
『帝国臣民よ、最早何の心配もない! 我らがサウザー皇帝陛下はこのグランベロスを新たなる時代の覇者とすべく、必ずやお戻りになる! どうかそれまで、挙国一致し外敵からこの祖国を守ってくれ!』
 新たなる時代の覇者。
 その言葉に、群衆の興奮は最高潮を迎える。
『皇帝陛下、万歳っ!』
 誰かが上げたその歓喜の声が引き金となって、大歓声が広場を震わせた。


「……サウザーが、神竜と」
 信じられない、とばかりに、震える口調でセンダックは呻いた。
「サウザーは、ドラグナーじゃない……。それなのに、どうやって?」
「それは判らないでアリマス。演説から判ったのは、サウザーが神竜に挑んで、倒れた、とそれだけでアリマス」
「成程な」
 と、肩を竦めるビュウに、場の視線が集まった。
 暗に説明を求められ、彼は口を開く。
「ホーントが極秘裏に本国に帰還した理由がそれだ。
 皇帝が倒れて執政できない、なんて状況は帝国樹立以降今回が初めてだ。だから帝国中枢、つまりは将軍連中だな。奴らは浮き足立った。不測の事態に、どうして良いかまで分からなかったんだ」
 グランベロスは若い国である。その若さは、勢いがあるというメリットの反面、経験不足というデメリットでもあるのだ。
「それで、タイチョー?」
「はいでアリマス。自分は更に情報を収集すべく、そのまま帝宮の奥に侵入したでアリマス」


 宮殿の奥まった場所に国家としての機能が集中している、というのは、どこも大体似たようなものだ。
 そう判断したタイチョーは、とにかくひたすらに奥へ奥へと進んでいった。出来れば機密文書の一つでも盗み見る事が出来れば、そう思って、軍事資料室の類を探した。
 そしてコソコソと動き回る事数時間、彼は帝宮の図書室に辿り着いた。
 薄暗く埃っぽいその図書室は、タイチョーの故郷マハールの王宮図書館と比べると涙が出そうになるほどに貧弱ではあったが、天井にまで届かんばかりの高さの書架と、そこにギッシリと納められた書物、そして人気のなさだけは同じだった。
 軍事国家グランベロスの図書室ならば、軍事関連の資料も置いているだろう、とタイチョーは書架に並ぶ本の背表紙に目をやり――

『……あの阿呆どもめ、余計な事をしおって』

 それは、低く押し殺された男の声だった。
 呆れ果てた中に嫌悪と嘲弄を混ぜたその声音は、しわがれていて、パッと聞いただけで初老の男のそれと判るほどに老獪だった。
 その声が耳に届いた途端、タイチョーは息を殺し、気配を消し、本棚の影に隠れて周囲を窺った。
 声の主は、書架の列の向こう、更なる暗がりの中にいた。疎らに配置された燭台の灯りはまるで届かず、その人影のシルエットを薄ボンヤリと浮かび上がらせる程度の明るさしかなかった。

『と、言うと?』

 老人の声に応えるのは、やはり低く押し殺された女の声だった。どことなく陰鬱な調子のそれは、若いのか老いているのかは判断つかなかった。

『決まっていよう。神竜だか何だか知らぬが、そんなものに徒(いたずら)に手を出すなど。ましてや、その結果倒れたと馬鹿正直に発表するなど。――お前には分かるか? あの小僧が考えなしにした事が、このベロスにどのような結果をもたらすか』
『……いえ、私は、お館様ほど政治に長けてはいないので……』
『そうやって政治に興味を示さないのが、お前の悪い癖だな。少しは学んでみせよ。さもなくば、ただの駒として使い捨てられようぞ』
『私は、お館様に使い捨てられるならば本望です』
『正直は美徳だが、それに「馬鹿」が付けばただの悪徳だ。間に受けるでない』
『は』
『まぁ、良い。お前も、状況を把握しておく必要がある。わしが説明しよう。
 サウザーめは神竜に手を出した。その結果倒れた。パルパレオスは、それを臣民のためと公表した。それを聞いた臣民は、サウザーをどう思うと考える?』
『……自分たちのために身を賭した偉大な皇帝、と』
『それはパルパレオスの言葉だ。あの若造の言う事を間に受けるな』
『は』
『だが、それもまた一つの正解だ。臣民は、サウザーの行為を好意的に解釈するだろう。だがその一方で、多くの民が不安に思う。サウザーは倒れ、帝国は磐石なのか……と』
『…………』
『その不安は、早晩拍車が掛かる。奴は即位以来、戦争とそれにまつわる行政以外、ほとんど何もやっていないからな。間もなくそのひずみが現われる』
『ひずみ、ですか?』
『そうだ。まぁ、見ていよ。奴の作り上げた国が、十年足らずで真っ二つになる』

 タイチョーはこの時まで、決して声を出すまい、と必死に押さえてきた。
 しかしこの瞬間、息を飲んだ。
 その音は、図書室の静寂に小さく、しかし確かに響いた。

『――誰だ!?』

 それは、女の方だったか、それとも老人の方だったか。
 その鋭くもひそめられた誰何の声を背後に聞きながら、タイチョーは最早気配を殺す事も忘れてその場を後にした。


「――その後、自分たちは大急ぎで帰ってきたでアリマス。追っ手はなく、おそらくは巻けたものだと思うでアリマス」
 タイチョーの報告は、そう締め括られた。
 艦橋は、いつの間にか水を打ったような静寂に包まれていた。誰もが真剣な面持ちで押し黙り、今のタイチョーの話を頭の中で何度も何度も反芻していた。
「――つまり、まとめれば」
 その中、重々しくマテライトが口を開く。
「サウザーは倒れた。その原因は、神竜と対峙したからである」
「そうでアリマス」
「その事を快く思わない一派が、帝国に存在する」
「そうでアリマス」
「――ビュウよ」
 話が唐突にこちらに振られる。ビュウはマテライトを見やった。
「お前ならば、帝国の情勢にある程度詳しいであろう。この、サウザーに対する一派に心当たりはあるか?」
「…………」
 いつか、帝国の軍属をしている知人から貰った手紙の内容を、ビュウは記憶の底から掘り返す。

 外部からは一枚岩に見えるグランベロスだが、その中身、軍部中枢は概ね真っ二つに割れているという。
 一方は、サウザーを頂点に据える皇帝派。革命を成し、ベロスに新たな息吹をもたらしたサウザーを信奉し、彼に従う者たちだ。その最筆頭に、革命以前からのサウザーの盟友パルパレオスがいる。
 もう一方は、革命以前に大きな権勢を誇っていた連中が中心となった旧政権派。革命前後の粛清を生き残った王国時代の貴族や政治家たちの一派で、サウザーとその腹心たちに従う一方で、かつての栄光を取り戻そうと画策しているという。
 その中心人物が、確か――

「――ゼム・グドルフ=ザーラント」

 その声は、ビュウのものではなかった。
 艦橋に唐突に響く凛とした静かな声。本来この場で聞くはずのないそれに、ビュウたちはハッと入り口に目を移す。
「ヨヨ様!」
 マテライトの叫びに、艦橋の入り口にもたれるようにして立つ彼女は、青白い顔に険しい表情を浮かべてこちらを一瞥する。
「……おそらく図書室で話をしていたという男の方は、ザーラント将軍でしょう」
「ヨヨ様、何故ここに!? ――ビュウ!」
「俺じゃない」
 ビュウがそうかぶりを振るのと、ヨヨが冷ややかな眼差しをマテライトに向けて血色の悪い唇を動かすのとは、ほぼ同時だった。
「貴方たちが何かコソコソと動いていた事くらい、見抜けないと思っていたの? だとしたら、随分と見くびられたものだわ」
「ヨ、ヨヨ様、いえ、決してそのような――」
「とにかく、話は大体聞きました」
 マテライトの弁解を途中で遮り、ヨヨは艦橋へと大股で入ってくる。不機嫌を露にした彼女の足取りは顔色からは思いも付かないほどしっかりしているのだが、気力でカバーしているのは目に見えて明らかだった。
「サウザーが倒れた事を好機とするのは、ザーラント将軍以外にいないでしょう。彼は、サウザーが革命を起こした際にそちらに鞍替えした人ですが、その鞍替えは自らの利権を守るため、と噂されていましたから」
 スラスラと内情を説明する彼女に、センダックは首を傾げて、
「姫……何でそんなに詳しいの?」
「これでも、三年間グランベロスにいたのよ? この程度の話くらい嫌でも耳に入るわ。少なくとも、ビュウの情報源よりも中枢に近いところにいたし、情報の鮮度もある程度は保てているつもりよ?」
 それについては、ヨヨの言う通りだ。グランベロス軍内部に関するビュウの情報源は、末端の軍属である。そいつが噂で聞く話よりも、グランベロスの中核に日常的に接していたヨヨの話の方が正確さは上だし、ほんの数ヶ月前までいた彼女の話は、ビュウが一年近く前に手紙で読んだ内容よりも新しいはずである。
「では、殿下」
 それを踏まえて、ビュウは問うた。
「タイチョーの話にあった男がザーラントだとして、話の相手は誰だと思われます?」
「――……ホーント、でしょうね」
 僅かな黙考の後、ヨヨは答えた。
「皇帝派と比べて旧政権派の動きは目立たなくて、私みたいな部外者にはそのメンバーとか、そういう詳しいところまでは分からないけれど、少なくとも八人いた将軍の中で、ザーラント将軍のシンパとして有名だったのはヒンデンベルクとグラスター、それにホーントの三人だったわ」

 キャンベル駐留師団の司令だった、ゾンベルト。
 マハール総督府の総督だった、レスタット。
 そして在ゴドランド特使の、ラディア。
 この三人が、グドルフのシンパ――帝国軍の中核に食い込んだ、旧政権派。
 この内、ゾンベルトとレスタットは、それぞれの任地で戦死している。だから、グドルフが手駒として使えるのはラディアだけ。そんな状況の中、政敵であるサウザーは倒れ、旧政権派に躍進のチャンスが舞い込んだ。
 手駒は減ったけれど、状況そのものは好転している。

 辻褄は、合う。

「ふむ……そうなると、我々にとって状況は少し厄介な方向に進んでいる、という事になるな」
「マテライト殿、どういう事でアリマスか?」
 タイチョーに問われ、マテライトはまず第一に、と指を一本立てる。
「サウザーは、何らかの方法で神竜の心を知ろうとしている。それはすなわち、ヨヨ様に取って代わって神竜の力を手に入れようとしている、という事だ」
 第二に、と二本目の指を立てる。
「しかしサウザーは倒れ、ゼム・グドルフ=ザーラントの策動で帝国は分裂しつつある。そこまでは良いが、我々の次なる敵は件のホーント。これを下すという事は、旧政権派の勢力を削ぐ事になる。つまり、サウザーの側に塩を贈る、という事だ。しかし」
 立てた指二本を引っ込め、マテライトは難しい顔で腕を組む。
「かと言って、わしはそのグドルフとやらの謀略に手を貸すつもりは毛頭ない」
「つまり?」
 苦笑と共に促すビュウ。もっとも、先の言葉は読めている。だからこそ苦笑いするわけだが。そしてそれは、センダックもタイチョーもヨヨも、さっきまでその辺を転げ回っていたドンファンも同じなのだが。
「例えサウザーの利になる事になるとしても、ホーントを下す事に何の躊躇いもない、というわけじゃ! ――そこでビュウよ!」
「先に言っとくけど、ゴドランドに行くのはあくまで殿下の治療のためであって、特使の部隊との交戦じゃないからな」
「そんな事は解っておる! じゃが、わしらが入国すれば特使は警戒し、場合によっては攻撃してくるかもしれないであろう! その辺りの対策はどうなっておるのじゃ!?」
 正直なところ。
 ラディアの部隊との交戦が目的ではないとは言え、マテライトの言う通り、入国した途端に攻撃される可能性は、なくもない。例えゴドランドがグランベロスから大幅な自治権を確保していて、ラディアやその部下たちに内政干渉の権限がなくても、ビュウたち反乱軍がグランベロスから見れば狩るべき敵なのだ。

 これまでは、グランベロス、対、反乱軍と現地の反乱勢力、という二極構造だった。
 しかし今回は、グランベロス、対、反乱軍、対、ゴドランド、という三つ巴の構造になるかもしれないのだ。
 それが、今回の厄介なところなのである。
(だから重要なのは、どうやってゴドランド当局を動かすか、なんだよな)

「……細工は流々、仕上げをごろうじろ、だ」
 ビュウは、不敵な笑みと共にそう告げるだけに留めた。
 情勢は、未だ定まってはいないのだ。





§






 ファーレンハイトから遠く離れた、岩礁群の外縁付近。
 そこに、一隻の戦艦があった。
 外観は、どこにでもあるごくごく普通の戦艦だった。
 しかし、どこか歪(いびつ)だった。
 どこの旗印も掲げないその戦艦は、艦首をまっすぐにファーレンハイトに向けると――

 その先端に据えつけられた主砲の照準を、定めた。

 

 

 

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