「それにしても、ヨヨの奴も何考えてるんだかな」
ズブリッ。
「何が悲しくて、俺とあんたが組まなきゃいけないんだ?」
ブツッ。
「こんなところ鬱陶しい貴族連中に見られたらどうなるか、あいつ解ってるのか?」
ザクッ。
「……まぁ、ヨヨの事だから、どうせそれを見越して何か企んでるんだろうけど」
ドシュッ。
「あんた、どう思う?」
「……とりあえず――」
パルパレオスは、戦慄に身を震わせながら何とか言葉を紡いだ。
彼を戦慄させるもの。それは、この光景。灰色の中に鮮烈なまでに咲き誇る赤。
「俺には……何故こんな状況で世間話が出来るのか、そちらの方が気になるのだが」
鉛色の空。
葉の落ちた木々の林。
たった今絶命した七人の男と、周囲に飛び散る彼らの血。
その風景の中。
今しがた、どうという事のない愚痴を言いながらも男たちに長剣の切っ先で以ってとどめを刺していたビュウが、訝しげな表情でパルパレオスの方を振り返る。
頬に返り血を浴びたその顔は、余りにも普通の表情で、それが逆に恐ろしかったのだ。
境界線上の挿話
何故こんな事態になったか、を問えば、答えは三日前に求められる。
三日前、カーナ北部に領地を持つ地方領主が、王宮まで嘆願にやってきた。
曰く、グランベロスの残党兵が野盗と化し、住民たちを脅かしている。
それを聞いた女王は、ただニッコリと笑って、
「なら、私の騎士たちに退治させましょう」
そして、超過労働気味のビュウとか立場上王宮での扱いに困られていたパルパレオスとか、ビュウの舎弟トリオの内事務仕事に強いトゥルースを抜かす二名とか、念のためにという名目でプリーストたちとか、まぁその辺りが野盗退治の要員として選ばれたわけだが。
……どういうわけか、パルパレオスはビュウと二人一組(ツーマンセル)を組む事になり。
件の領地の中で、残党兵の目撃情報が集中している林の捜索を任される事になり。
乗ってきたサラマンダーを林の外に待機させて分け入ってみれば、あっさり残党兵七名と遭遇し。
パルパレオスとしては投降を呼び掛けるつもりでいたのだが、極限状況に我を忘れた彼らは耳を貸さず、仕方がないと呟いたビュウがその双剣で七人をあっさりと斬り捨てた。
そして、一撃で絶命に至らずもがいていた彼らを……ビュウは、一人一人、その胸に剣を突き立てて確実に殺していったのだった。
ビュウはしばらくこちらを見ていたが、ふと視線を外した。頭上を見上げる。
「……雨が降りそうだな」
「ビュウ――」
「この寒さなら、雪になるか? まぁどっちにしろ、任務は概ね終了だ。帰るか?」
「だから、この状況で、何故そんなに冷静でいられるのだ」
「……俺としては、そんな話題で時間を費やすよりも、雨か雪に降られる前にとっととセナーズ子爵の館に戻って風呂に入って温かいお茶でも一杯飲みたいんだが」
両手も、鎧も、顔すらも血にまみれている。
たった今人を殺した姿。だがその表情は、残業に愚痴を言うくたびれた男のそれでしかない。
そう――普通の、表情だ。
人を殺した事実を恐れるわけでも、それに慣れてしまって何とも思わなくなり無表情になるわけでもない。その全てから乖離(かいり)した、余りにも人間味が――それも、この場には余りにそぐわない「人間味」だ――溢れている表情だ。こんな酸鼻を極める場所でなければ、見ても何の違和感も感じない。そんな、ごく普通の顔。
……戦場で、見る顔ではないのだ。
しばらくしてからふぅ、と一つ溜め息をすると、ビュウはおもむろにしゃがみ込んだ。
「……ビュウ?」
「こいつら」
と、枯葉の上で自らの血に己の身をひたす残党兵の一人を顎で示し、ビュウは何気ない調子で喋りだす。
「装備からして、明らかにグランベロスの兵士だな。正規の」
「何を――」
「敗残兵、ってのは惨めなもんだな。負けて、戻る場所も方法もなくなって、仕方ないから敵地に潜んで生きるために野盗になる……。こっちにしちゃ、迷惑な話だが」
彼の語り口は、それこそ単なる世間話だった。「迷惑な話」のくだりだけ、妙に愚痴っぽかったが。
「グランベロスの兵士、ってのは、前の戦争じゃ大体が略奪に走らなかった、って、そりゃまぁ教育の行き届いた連中だと思ってたんだが……」
そこで言葉を切り、ビュウは立ち尽くすパルパレオスを振り仰いだ。
「勝つと負けるとじゃ、随分差があるもんだ」
「……………………」
「……勘違いするなよ。別に俺は、あんたの亡命についてどうこう言いたいわけじゃない。ただ、これが」
再び視線を骸に戻す彼。
「一種の戦争の狂気だ」
それから、ビュウは肩を竦めてみせる。
「誇り高きグランベロスの兵士も、敗戦のショックには敵わなかったようだな。略奪五件、殺人十二件、傷害致死九件、傷害十五件、強姦七件に強姦殺人二件……――」
指折り数えて、ふと思いついた、とでも言いたげな口調でそのまま呟く。
「さて、問題」
「……は?」
「こいつらはもう死んだわけだが、もし生きていると仮定して」
……律儀にとどめを刺していった男が、いきなり何を言い出すのか。
「今言った罪状で、こいつらは法廷に立つとしよう。さて、こいつらを死刑台に登らせないためには何が必要だ?」
「……司法は余り得意ではないのだが」
「まぁ、試しに言ってみろよ」
「――……捕虜の取り扱いに関する国際条約」
「裁判長も丸め込める究極の詐欺師――だろ、ここは」
そう言って、ビュウはクツクツとさも可笑しげに笑う。
やはり、この状況から浮いていた。
「……話は、戦場の狂気に戻るけどな」
そう言って立ち上がったビュウは、ようやく剣を鞘に収めた。
もう必要ない、と判断したのだろう。それに倣ってパルパレオスも双剣を鞘に収める。
「何で人は、戦場の狂気に襲われると思う?」
「……何?」
「あんただって一度は経験した事あるだろ? 我を忘れて敵兵に斬り掛かって、やたらめったに剣を叩きつけて、気が付けば相手は肉の塊になってた――っていうの」
記憶をさらう。
傭兵になりたてで、まだ戦場に一回か二回しか出た事がなかった、そんな頃。
襲い掛かる敵兵が恐ろしくて、ギラギラと殺気立った目が怖くて、ひたすらに剣を振り回した――そんな記憶は、確かに、ある。
「……それが、どうした?」
パルパレオスの僅かな沈黙を、肯定と受け取ったのかどうか。その辺りの判断も微妙なところだが、とにかく、ビュウは淡々と話を続けた。
「何で、人間はそういう風に我を忘れて武器を振り回して、相手を滅多刺しにしたりする?」
「それは――」
自分の場合は。
「……恐怖から、だろうな」
「なら、何で人は恐怖する?」
「……当然だろう。相手は武器を持ち、こちらを殺そうと掛かってくる。殺さなければ殺される。その状況に恐怖するのは当然だ」
「だから、何で人はそこで恐怖するか、だ」
「……………………」
「……あーと五ー秒」
妙な節回しの台詞。それが制限時間だと気付き、
「なっ!? いや、ちょっと待て! 今考えるから!」
パルパレオスは何故か慌てるが、ビュウは抑揚もない声で、
「ごー、よーん……」
「ま、待て! た、確か、人が何故恐怖するか――」
「さーん、にぃー、いーち」
あぁ、駄目だ。制限時間。それは人を焦らせ、容易に恐慌状態に陥らせる。恐怖。戦場。殺戮。虐殺。そんな単語がグルグル回れど、ビュウの求めていそうな文章としての答えは組み上がってくれない――
「――……ゼロ」
「……で、答えは?」
「あんた、最初っからそのつもりだったか?」
「いや、そういうわけではないのだが――どうなんだ?」
するとビュウは、半眼でこちらを睨んでから、ふと呆れたように鼻息を吐いて、
「――戦場が、非日常だからだ」
「……非日常?」
「そうだ」
そして、半眼のまま視線を敗残兵に向ける。
「大方の兵士にとって、戦争ってのは今まで自分の置かれていた状況とは明らかに違う世界だ。つまり、日常とは完全に異質な、非日常」
「…………」
「人間ってのは、異質なものだとか理解できないものだとかには恐怖するように出来てるからな。それが」
「戦場の狂気を招く、という事か……」
「まぁ、そういう事だ」
言葉を継いだパルパレオスに、ビュウは頷いた。それから、何故か急に、
「時に、あんたが最初に人が殺されるのを見たのは何歳だ?」
「何をいきなり――」
「まぁ、いいから」
「……十三の時だと思ったが?」
それは正確には、初陣を飾った歳だった。かつてのベロスの慣習では、傭兵となるべく訓練する者は十三歳の年に新兵として部隊に組み込まれ、戦場に赴く。それについて、特に例外はない。
そのため、最初に人が殺されるのを見るのも、大体が初陣なのだが。
しかし、次にビュウが言い放った言葉はそのベロス人の常識からすれば余りにも非常識で、パルパレオスは耳を疑った。
「ちなみに俺は、三歳の時でな」
「何……? 本当か、それは」
「嘘言ってどうする」
「俺を騙して面白がる、とか」
「だったら、もう少しあんたがダメージを負いそうな嘘を考えるよ」
確かにその通りなのだが。
自分がダメージを負いそうな嘘。それを考えると気分が沈んでくるこちらなどまるで無視して、ビュウは他人事のように話を続ける。
「……確か、三人かそこらだったかな。俺の実家のすぐ前の路地で、母さんが剣でそいつらを斬り殺したんだ。多分母さんは、俺が見てる事なんで知らなかったんだろうけど……」
語り口の呑気さからは程遠い、凄惨な過去の話。
三歳。その幼さに、パルパレオスが背筋が粟立つのを感じる一方で、ビュウは、遠い目で語っている。
「何て言うかな、綺麗だったんだよ」
「……綺麗?」
「血が。真っ赤で、パッと飛び散って。花みたいだな、って」
花。
鮮やかな、赤い、花。
「三つのガキの頭に、死の概念とか殺人の罪の重さとか、そんなご大層なモンが詰まってるわけないからな。だからあの頃の俺は、目の前で人が殺されてもそんな間の抜けた事しか考えなかったわけだ」
「…………」
「それで色々と事情があって、それからすぐに傭兵になったわけだ、母さんは。当然俺はそれに引っ付いて」
「……三歳から?」
「あぁ。だから、かな」
言いつつ、彼は首を傾げる。自分でもその事には懐疑的なのだろうか。だがその割りには、続く言葉を紡いだ声は、別に疑問を孕んでいるようには聞こえなかった。
「俺にとって、戦場ってのは日常なんだろうな」
血臭。
絶叫。
剣戟の音。
混乱と、恐怖と、狂気がない混ぜになるその場所。
それが、ビュウの日常。
「だから、いわゆるところの戦場の狂気に襲われた事がなくてな。おかげで、こんな状況で世間話するのが俺にとっちゃ当たり前で……――あぁ、そういえば昔、この事で母さんと親父が喧嘩してたっけかな。六つのガキが、傍で人死んでも平気で報酬の計算に勤しんでりゃ当然だけど」
そんな子供。
それが、ビュウ。
そして彼は成長した。他者の死に眉一つ動かさない男に。談笑しながらでも剣を振るい、無力化した敵にまで無慈悲な死を与える、そんな戦士に。
きっと彼の中に人を殺す事に対する罪悪感はない。何故ならそれが日常だから。朝起きて顔を洗う事。朝食の後に歯を磨く事。服を着替えて身だしなみを整える事。仕事をし、愚痴を言い、残業に忙殺される。そういった諸々の「日常」と大差ないくらいに日常的な「非日常」。
それは狂気か。
それとも、正気か。
そんな、どちらともつかない境界線の上。
ザクッ――
今日何度目かになる戦慄にパルパレオスが身震いしたその時、乾いた土を踏みしめる音が響く。
ハッとして振り返ると、そこに、恐怖と同様と憤怒で顔を色々な色に染めた男が三人、刃こぼれの酷い剣を片手に立っていた。
「あぁ、そういえば」
その三人を目にしたビュウが、呑気に言う。
「報告じゃ、件の残党兵は一個小隊、十人。三人足りないからどうしたかな、って思ってたんだ」
「聞いていないぞそんな事」
「言わなかったしな」
真顔で突っ込むと、ビュウも真顔で返してくる。
そして、やはり真顔のまま、こう続けるのだ。
「ところで俺は、もういい加減疲れたわけだ」
「……何?」
「ここのところろくに寝てないところにどういうわけか急にあのわがまま娘からやっつけ仕事的な任務を押し付けられたかと思ったら一体何の因果か人の国の王宮を平気な顔して歩いてる恥知らずの某国元将軍と二人一組を組まされた挙句に割り当てられた捜索範囲がまんまビンゴでいつもの通り瞬殺したらその態度について何だかネチネチ尋問された上に性に合わない昔話までさせられたかと思いきや残党兵の残り三名登場じゃ、月給十万ピローじゃ安いと思わないか?」
……何気に酷い事を言っているような気がするのは、自分の気のせいか?
「なっ……何をゴチャゴチャと!」
と、これは件の敗残兵。顔を赤く染めて目を逆三角形にし、剣を構える。
しかし、それを見たビュウは、不意にポン、とこちらの肩を叩いた。
「というわけで、俺はいい加減領主館に戻って、風呂に入ってから、サロンでフレデリカと一緒に茶を飲みつつ今度の休みの予定についてじっくりと話し合いたいので、後は任せたパルパレオス」
「なっ――!?」
「じゃ」
ゲシッ。
ビュウはパルパレオスの背中を思い切り蹴って敗残兵たちの方に押しやると、そのまま脱兎のごとく林の外に待機しているサラマンダーの元に向かって全力疾走したのだった。
そして、突っ込んだパルパレオスと突っ込まれた残党三名は、揃って茫然自失となりつつも、どういうわけかここは残党の方が立ち直りが早く――
「貴様――パルパレオス!」
「この裏切り者が!」
「我々を、祖国を裏切り、カーナに尻尾を振った女王の情夫が! 殺された戦友たちの恨み、思い知れぇっ!」
「いや、ちょっと待て! と、とりあえず、まずは話し合わないか同じグランベロス人同士だし!」
「問答無用ぉぉぉぉぉぉっ!」
喚声と悲鳴が耳障りなハーモニーを醸し出し、林に響き渡った。
そして。
案の定降りだした雪で冷え、乱闘ですっかりボロボロになった重い体を引きずって、セナーズ子爵の館にどうにか戻ってきてみれば。
ビュウは、予告の通り、風呂上がりのさっぱりした姿でサロンのソファー(もちろん暖炉前)を占拠していて。
その隣には、予告の通り、お茶入りカップを持った某病弱プリースト嬢が少し照れた様子で収まっていて。
ふと顔を上げた彼は、本当に、はっきりと、こう口にしたのだった。
「あ、忘れてた」
「ビュウ――――!」
泣き出したいやら怒鳴りだしたいやら。
頭の中に色々な感情が入り乱れて、何も言う事が出来ずに口を開閉させるパルパレオス。その彼から何のためらいもなく視線を外し、ビュウは談笑に戻ったのだった。
ちなみに、その報告を受けた、事の元凶である女王陛下の言。
「うん、予想通り」
彼女は確信犯であったそうな。
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