……コンコン。


 部屋に、ノックの音が響いた。
 領収書と向き合っていたビュウは、はたと顔を上げる。
 誰だ?
「……ビュウ? ちょっと、いいかしら?」
「フレデリカ」
 扉越しに、ややくぐもって聞こえる声は、どことなく上ずっているようなフレデリカのそれであった。椅子に座ったまま、ビュウは上体を捻って振り返った。
「どうぞ。開いてるよ」
「じゃあ、失礼するわね」
 カチャリ、と扉が開く。古ぼけた木の戸に半分姿を隠して部屋に入ってきた彼女は、こちらを窺うように顔を覗かせて、
「どうしたんだよ」
「あの、ね、お茶が入ったんだけど……どうかしら?」

 お茶。

 そういえばそんな時間だったろうか。古い懐中時計の蓋を開く。
 短針が、「V」を指していた。
 ――となるとかれこれ二時間以上も数字と格闘していた、という事か?
 言われてみれば、小腹も空いた。領収書に意識を向けていたから気付かなかったが、喉も渇いた。おまけに少し目の奥が重く疼いている。
 休憩するには良い頃合だ。
 何となく照れたような笑みを浮かべているフレデリカに視線を戻し、告げる。
「じゃあ、呼ばれようかな」
「本当?」
「ああ。――先に行っててくれ。片付けてから行く」
「ええ、分かったわ。私たちの部屋にいるから」










お茶の時間










「……あれ?」

 というのが、ファーレンハイト地上部分二階、女性用大部屋に入った瞬間にビュウが口にした単語である。

 人が。
 いない?

 いつもその辺をちょこまかしているメロディアとか、向こうのバーカウンターで監禁中のドンファンとか、監視役のジョイとネルボとか、その他ディアナとかアナスタシアとかミストとか、要はいるべき女性陣が全員いない。

(……おかしいな)

 いつも誰かは必ずいるのに――

「ビュウ?」

 フレデリカがバーカウンターの方から顔を覗かせた。まぁいいか、とビュウは適当に納得しておく。そんな日もある。
「ああ、ごめん。そっちか」
「ええ、どうぞ」
 彼女の方へと足を向ける。すぐそこのテーブルにはティーセットとお茶請けの焼き菓子。
「このクッキー……」
 買い置きしていたか?
「昨日ヨヨ様が食べたい、っておっしゃって、それで作ったのが残ってたの。残り物でごめんなさいね」
「あ、いや、それは構わないけど」
 単純に、誰かが経理の自分に内緒で買ったのか、と穿ってしまった。そんな自分の性分が少し恨めしい。
 と、ふと気付いて尋ねる。
「じゃあ、もしかして」
「私の手作りよ。……お口に合えばいいけど」

 手作り。

(……手作りかぁ……)

 思わず口元がほころぶ。
「ビュウ?」
「あ、ごめんごめん」
 笑って誤魔化して、椅子に座る。それを見計らって、フレデリカは目の前のティーカップにポットから茶を注いだ。
 フワリと鼻腔をくすぐる、豊かで奥深い香気。
「――キャンベル産の紅茶か」
「まぁ、よく分かったわね」
「そりゃ、殿下のお付き合いでよく飲んだから」
 白いカップの底が紅茶色に染まる。並々と注がれた茶は湯気と共に香りを放ち、それが部屋を満たしていく。
 キャンベル産の紅茶。最高級品である。もちろん高い。

 そう――高い。

「……この紅茶、いつ買ったんだ?」
「この前、ゴドランドに下りた時よ?」
「購入費はどこから――」
「さぁビュウ、冷めない内にどうぞ」
 ニッコリ笑って勧める彼女。余りにも唐突なタイミングは、まるで言葉を遮るようで――いや、遮っているのだろう。
(……後でちゃんと調べないとな)
 それはさておき、紅茶を一口。
 口中を、少し癖のある、しかしスッキリとした風味が支配する。
 えぐみも渋みもない、その味。
「――見事なモンだな」
「このお茶? いい茶葉でしょ? ヨヨ様も喜んでらっしゃったわ」
「そうじゃなくて」
 苦笑と共に遮ると、フレデリカはきょとんとした顔でこちらを見つめてきた。
「フレデリカ、お茶の淹れ方が上手いんだな、ってさ。俺も母さんから散々習ったけど、どうしてもお茶が渋くなってなぁ。どうも時間を長めに取る癖があるらしくて」
 言いつつ、クッキーに手を伸ばし、口に放る。
 サクリ、と砕ける食感。咀嚼するごとに甘みが広がった。
「――うん、こっちも美味い」
 と――
 ふと顔を上げて、ビュウは初めて気付く。

 カップから立ち上る湯気の向こうで、フレデリカがどういうわけか頬を紅潮させているのに。

「……フレデリカ?」
「――えっ!?」
 いきなり大声を出され、ビュウは微かに身を引かせる。
 それに気付いたか、彼女は慌てて、
「あ、ご、ごめんなさい! それで、何?」
「いや、別に……何だか顔が赤いから」
「えっ――」
 言われて初めて知ったらしく、フレデリカは頬に手を当て、それから弁解するように左手をパタパタと振りつつ、
「あ、あの、これはね、別に、何て言うか、えっと、そんなのじゃなくて――」
「……と言うか」
 その様子に半ば呆然として、顎をしゃくって示すビュウ。

 示した先は、彼女の右手。

 握られているのはスプーン。
 その先が向かうのは砂糖壺。
 彼女がしどろもどろに弁解を始めた時から、砂糖壺・カップ間の往復回数とスピードが目に見えて増加した。

「砂糖、入れすぎだと思うんだけど」
「えっ……?」
 言われ、ポカンとした顔でカップを見下ろす彼女。

 しばしの沈黙。

「――ああああああああああっ!」
 甲高い絶叫がフレデリカの口から放たれた。顎が外れるのではないか、というくらいに大きく口を開き、悲鳴を上げ続ける。
「わ、わたっ、私っ、何してっ! なっ、なっ……!」
 余りにも取り乱しているのが気になり、ビュウは彼女のカップの中を覗く。

 溶けきれなかった砂糖が、山となってカップの半ばほどの高さまで盛り上がっていた。

「……こりゃ、飲まない方がいいな」
「あああ、このお茶高いのにぃぃ……」
「――ちなみにお値段は?」
「千五百ピロー……」

 高ぇよ。

 思わず胸中で突っ込みを入れてしまうが、それはまぁ、それとして。

 ビュウはポットを手に取った。
 軽い。
(空か……)
 当然と言えば当然か。少し考え込む。

 千五百ピローの茶葉。

(――ま、いいか。たまには)

「それで、フレデリカ?」
「……はい?」
「茶葉は?」
「え?」
「だから、このお茶の茶葉。どこにあるんだ?」
 ポットを片手に立ち上がりかけたビュウを、途方に暮れた表情のままのフレデリカが見上げる。
「ビュウ?」
「せっかく一席設けたのに、俺だけ飲む、ってのも不公平な話だろ。淹れ直すよ」
 すると、彼女は少し驚いた顔をした。
「……いいの?」
「何が」
「だって、このお茶……」

 千五百ピロー。
 常のビュウならば、一欠片とて無駄にするな、と厳命するだろう。

 けれど、今は気分がいいのだ。
「ま、たまには、な」

 笑うと、フレデリカも少し笑った。
 うっかりすれば、見惚れてしまいそうな。

「……で、えーと、茶葉は、どこに?」
「いいわ。自分で淹れ直すから。ビュウは座ってて」
「……いいのか?」
「ええ。誘ったのは私よ? ゲストに淹れてもらうのは失礼だわ」
「そうか? 俺は別に気にしないけど」
「私は気にするの。だから」
「……なら、そうさせてもらうか」

 そうして、新しく紅茶を淹れにカウンターの方へと向かうフレデリカの背を見つめながら――

(……まぁ、たまには)


 お茶とこの平穏を楽しむのも悪くはない。










「…………あー、もう」

 そんなバーカウンター方面の様子を、部屋の外からコッソリ覗きながら。
 出歯亀代表として、ディアナがボソリと呻いた。

「じれったい」
「ホントよねー。ビュウってば、変なところで奥手なんだから」
「って、ヨヨ様ぁっ!? いつからいらっしゃったんですか!」
「駄目よディアナ、そんな大声出しちゃ。いくらビュウが舞い上がってて回りに注意が行かないからって、それじゃ気付かれちゃうわ」
「いえ、それはその、確かにそうですが――」
「そう? なら、ノゾキ再開よ。……まったくビュウも、いっそ襲っちゃえばいいのに。据え膳食わぬは男の恥よ」
「――っ! 何をおっしゃってるんですかヨヨ様っ!」





 そんな光景が女性用大部屋の前で繰り広げられていた――
 というのは、ファーレンハイトで働くあるクルーの証言。



〜おしまい〜

 

 

 


 ディアナ率いる出歯亀軍団は、いつも部屋にいる女性陣全員(メロディア除く)で構成されています。
 フレデリカがビュウをお茶に誘ったのも、彼女たちの策略だと専らの噂。

 というか、フレデリカが前回に比べて健康的すぎ……。
 そして話が意味不明……。
 いえ、単に二人が一緒にいるところを書きたかっただけです。
 そしてそんな話にヨヨ様が登場してしまうのは、簾屋の趣味です。

 

 

 

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